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運転免許を取得する若人へ

掲載日:2022年8月1日 印刷ページ表示

一人ひとりの努力がなければ交通事故は防げない

交通事故で最愛の息子を亡くした父 48歳

毎日のように報道される悲惨な交通事故、そして死。私たちも気をつけなければ、他人ごとではないよねと皆考えておられることでしょう。また一方では身近な問題でもないし、遠いどこかの出来事としてそれ以上の重きを置いて捉えていない部分も少なくないと思っています。何もなければそれでいい。しかし、人生には厳しい現実があります。
 私の息子は、大学一年の夏休み、バイク事故により亡くなりました。
 それも大型二輪免許取得当日の夜のことです。電話が鳴り病院へ駆けつけ、処置室に入るや医師より死亡の報告です。つい先程まで楽しく夕食をとっていた元気な息子は、声をかけても揺すっても何一つ反応がありません。身体にはやや温もりがあるものの足先は冷たさが感じられました。一瞬にして喜びから恐ろしい悲しみへの突入です。
 事故から半年が経った今でも、その思いをしっかりと表現できる言葉は見つかりません。
 どんな事でも人間として持ち得る言葉によって、しっかりまとめておきたい。今まではそれなりに整理してきたし、できないものなんてないと考えてきました。しかし、突如息子を失った悲しみはどうやっても表現のしようがありません。社会生活では平静を装うところまでは回復できましたが、それ以前のパワーとか、力強さを持ち合わせるところまでには至れません。しかし、不幸にして私たちよりも先に同じような経験をされた多くの先輩のみなさまの生きざまを見るとき、それに屈することなく生きていかなければならないと思います。
 頑張って、頑張って、頑張って生きていきます。
 生とは、かけがえのないものです。そして死は、その瞬間に人生そのものを止めてしまいます。
 死とは人生完結の先にあるべきものであって、取り返しのつかない行為であることを改めて認識しなければならないと思います。19歳にならんとする息子の事故死は、親としての責任も大きいものがあると反省しています。子育てには皆様と同じように精一杯努力してきたつもりですが、子供の教育、育て方には大変苦慮してきました。仲間や先輩、教育者等々の皆様といろいろ相談させて頂き考えましたが、今までこれといった切り札的なものはわかりません。しかし、人生最初の教師は親であること、教育の原点は個人の精神的自立にあること、精神的自立をしっかり自分自身で自覚することが大切であると思います。これからバイクに乗られる方、すでに現在乗られている方、交通社会で生活している私たち、死というものを忘れて生活していませんか。死という言葉を一人歩きさせてはいませんか。一度失ったら絶対に補填できない、生とはかけがえのないものだけにしっかりと認識しておきましょう。特に10代から20代にかけての皆さん、事故率が極めて高いと聞かされています。スピードとスリルに己を忘れないでください。自分の技量について自分自身一番分かってるはずです。私が自分の息子を失って、この点についてが一番反省です。免許証を取得できたことは、自立できたこととは違います。自分以外のなにものでもありません。高度に発達した交通社会、それをとりまく管理体制、それには限りなく完璧を期したシステムができあがりつつあります。そんな中で、それをコントロールするものは個人個人の自覚と認識にあります。すべての管理は人間であります。それはすなわち個人です。
 バイクに乗る時、車を運転する時、一度大きく深呼吸して、心を落ち着かせて、安全な交通社会、平和な社会生活のため、一人ひとりの幸福のため互いに協力していきましょう。
 そして一人ひとりが事故防止に努めましょう。
 子供が生きているときは心配の連続。しかし、失って改めて子供に対する想い、期待を痛感させられる毎日です。
 私は、若人に強くこの気持ちを訴えます。
 最後になりましたが、事故後、より多くの皆様に力付けられ、ご協力頂きましたことに感謝申し上げます。
 有り難うございました。

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